「Miracle of the Fishes」のkubosakuのブログです。 こちらは緩く気楽に行きたいと思います。
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島原城
 長崎県の島原半島を回ってきたのですが、その時の訪問先をいくつかUpしようと思います。まずは島原市、島原城に行ってきました。島原鉄道の島原駅からすぐの位置にあります。東に島原湾、その向こうは熊本市、西は急峻な雲仙の山が控える、絶景の地に立っております。天守閣は昭和39年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。城郭は明治時代に取り壊されたため、外見の記録はしっかりしていて、模擬天守とかイメージとかのいいかげんなものではなく、往時のものをきちっと再現しているようです。天守閣は最上部以外に破風が無くてあっさりした感じ。天守閣の写真は何度か見たことがあるので、建築物自体には特に感動も無かったのですが、天守閣で驚いたのは、城内展示のうちの島原の乱の説明でした。圧政と禁教に対しキリシタンの農民が数万人も蜂起して・・・ということはもちろん知っていましたが、なんと、島原半島の南半分の地域の農民は100%参加し、殆どが戦死/処刑されたため、乱の後は全くの無人の地域になってしまったということには驚きました。その後は各地から移民を募って復興に努めたそうで、特に天領だった小豆島からの移民が多いとのことですが、移民は各地から来ているので島原半島南部の町村では地域ごとに風習・風俗がけっこう違う、とのことです。


 さて、訪問して最も驚いたのは、このように石垣が重厚で、堀が非常に深く広大である、ということです。水はほとんど抜いてあって、堀の底も歩ける部分があるため、その深さが際だっています。この石垣と堀とが、もっと有名になってもいいくらいだと思います。


 蓮がたくさん植わっているところもあります。いやしかし、たいへん立派なのはいいのですが、初代藩主および二代藩主の松倉重政・勝家は、キリシタン弾圧はもちろんのこと、たいへんな賦役を農民に課しこの城を造ったわけで、この壮麗さにただ感嘆するわけにもいきません。まぁ江戸時代に建てられた城郭は多かれ少なかれ圧政の上に成り立っているものだとも言えますけど(戦国/安土桃山時代の城郭は一概にそればかりとは言えないと思います)。次に、南島原市(旧・南有馬町)の原城跡も訪問しましたが、そちらからも多くの石が島原城まで運ばれてきたとか。


 お堀の底の一部が菖蒲園になっています。もちろんこの季節は葉っぱのみでしたが、かなりの株数が植わっていて、見事なものであろうと想像されます。


 これまた驚いたのが、その菖蒲園の脇で株分けされた花菖蒲のポリポットが、ざっと数えて8000株ほどもあったことです。もの凄い作業量であることが想像されて唖然としてしまいました。まぁ、施設の仕事としては当たり前なのかもしれませんけど。


 こちらは島原城のすぐ近くの武家屋敷の通り。中央に細い水路があって、両脇は石塀のある家々があります。家は、一部観光用に残してあるもの以外は普通の建築ですけど、どこも立派なお庭があって羨ましかった。植物好きなお家の玄関先は見ていると面白いですね、間口はけっこう広いのに、鉢やコンテナが大量にありすぎて、人が通れるところは、左右に注意して一人がやっと通れるくらいしか空いてなかったりして。


 その武家屋敷通りのあるお家に植わっていた植物。巨大な葉っぱ(手前はラベンダー)! これはバナナですよね? 2軒でこのような葉っぱを見ました。 ウチではバナナはちょっと無理だけど、近いうち、パイナップルを育ててみたいなぁなんて、ちょっと思っています。実がなるサイズまで育ったところで庭植えにしたら、道行く子供たちにもウケるんじゃないかなぁなんて。

テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

【2009/08/03 22:11】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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