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島根県安来市(旧・能義郡広瀬町)には、尼子氏の居城としてあまりにも有名な月山富田城があります。8月に機会あって訪問したものを2ヶ月も経ってからUpするのもなんですが、お城マニア的には重要な所ですので記録として書いておきます。
月山富田城は難攻不落の城として名高いのですが、攻防の記録によると、大内氏(毛利も大内氏の傘下/協力軍として出陣)、による攻撃を1度撃退しました。この出雲侵攻の戦いも一因となって大内氏が衰退した後、尼子氏が晴久のもとで隆盛するのですが、義久の代になって毛利元就により連年にわたり2度攻囲され、その2度目は1年2ヶ月の長期戦となり落城しました。その後、月山富田城は毛利氏の支配下となりました。 その後は、山中鹿之介が糾合した尼子残党が出雲国を席捲し、月山富田城が最後の砦として残ったのですが、攻撃を受けたものの毛利方は持ちこたえ、程なく残党側が敗退しました。 秀吉の時代には毛利一族の吉川広家の居城となり、関ヶ原後は堀尾氏が出雲・隠岐23万5千石の領主となり、1611年に松江城が完成、移転して月山富田城は廃城となりました。 以上のような歴史・時代のお城ですので、天守閣のようなものはもともと無いと思いますし原城趾のように構造物はほとんどありませんが、天然の要害を利用したお城で、そんじょそこらの城郭には無い、圧倒的な味わいがあります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 時間があまりなくて、大急ぎでの上り下りでしたが、登りはそれでも堪能しながらで40分、下り25分くらいだったと思います。しんどいですが、まぁどうにか往復できるレベルです。こんな城跡でも一人で登ってくるマニアと何人かすれ違い、また数人の集団もいたりして、そこそこの人気スポット(?)のようです。 なお、せっかく訪問するのなら、初めの方に書いたように、下りで巖倉寺に立ち寄り、さらに川を挟んで対岸の三日月公園にある尼子経久像も合わせて見るのがよいでしょう。 ここと松江城、玉造温泉のセットで訪問したのですが、個人的には、この訪問により、遂に47都道府県全てに某かの形で訪問した、ということになったのがまたとっても嬉しかたりして。 スポンサーサイト
テーマ:国内、史跡・名勝巡り - ジャンル:旅行 |
オーストラリア南西部原産のHakea laurina, 英語表記でPincushion Hakea, ピンクッション・ハケアが発芽しました。世界の花の種のサイトを見ていると、このお花の画像がTop Pageで出ておりまして、日の丸色のウニのような花が魅惑的で思わずポチッとな、と買ってしまったわけです。5粒200円とありますが、実際は9-10粒入っていました。9月4日に6粒を播種、9月27日までに3つ発芽、10月5日か6日までに6つ全部発芽となり、今のところは好成績でございます。
オーストラリアの植物の種は、撒く前に熱湯をかけるとか火で炙るとか、ヘンな処理をするヤツがあるのですが、コイツはそのままで大丈夫なのか?と気になって調べてみたのですが、日本語サイトではまともに書いてある所が見つからない。しょうがないので英語サイトを見て回って、やっと播種についてきちんと書いてある所(Society for Growing Australian Plants)を発見、播種~発芽については以下のようだそうです。 ・一般に、Hakeaはどんな季節でも、鮮度の良い種であれば発芽成績がよい。 ・播種には粗砂4:泥炭1の用土がよい。 ・常に湿り気が必要だが、過湿は良くない。 ・上から水遣りよりは底面吸水が良い。 ・感染を防ぐため覆いの下で管理する方が良い。 ・種を縦にして種の深さに植え、羽根(黒い薄皮部分)が半分土の上に出る ように植えると過湿防止となり成功しやすい。 ・ただし、種の非常に大きい種類では平たく植える方が良く、この場合は細砂で薄く覆土する。 ・発芽は種類によるが20-40日。 ・本葉が出たらよく注意してポットに移す。 というわけなので、あまり気を遣わず、ごく普通に種蒔きして良さそうです。かといって日本の暑い夏・寒い冬に発芽するかは分からないので、ごく一般的に、9月を待って播種してみたわけです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 乾燥気味の気候の所の植物ですが、湿度にもある程度順応するとか、特に用土は選ばないとか、そんなに難しく無さそうなことが書いてあるのですが、日本で育てた方の記事がなかなか見つからないということは、思いの外、この先が難しいのかもしれませんが・・・。以下のようになるのを夢見て頑張ります。以下の画像はThe Corroboreeから勝手に拝借いたしました。どうもスミマセン。 ![]() ![]() |
秋咲きのオキザリス・パルマピンクが開花中です。うちのブログの園芸関係検索ワードのトップがこれなんですが、何故なのでしょう、確かにgoogleで「オキザリス・パルマピンク」と入れるとウチの昨年の記事がTopでHitしてしまいます(笑)。お陰様で(?)今年も順調に育って開花したのでUpします。
昨年買って植えて、元は5球だったのが、若干小型化したものの15球にまで増殖し、夏前にはいったん掘り上げ、押し入れのタンス内で保存、そして今年は8月29日に植え付けました。しかし、植える前に既に根も芽もヒョロヒョロと出ていて保存ネットに絡みついていいるという状態でした。植える際は、根は残しましたが、芽は切って植えました。土は、面倒くさかったので一般的な「球根の土」で(笑)。植え付け後は10日ほどですぐ発芽し、1ヶ月後の9月27日には既に花芽も十分伸びており、10月初め、植え付け後約40日で開花しました。なお、花茎がヒョロヒョロと長く伸びてしまうのが格好悪くて、元肥が少ない方が伸びが抑えられるか?と思うのですけど。今回は「球根の土」なので元肥は入っていますが、花が終わるまで液肥を遣らないようにするつもり。花茎の伸び具合は、昨年よりは多少マシかも(昨年は液肥を1週~2週に1回は遣っていた)。なにせ、昨年は最初に付いた花を3-4個、あまりに伸びすぎて酷い!と思って開花前に摘み取ったくらいなので。 こいつは、日中に花が開き、夜になると閉じるという、まぁ花ではよくあるパターンですが、アサガオ、タチアオイ、スノードロップ等と同様の挙動をします。私は、平日は朝に出勤、帰ってくるのは夜ですので、こいつが花開くのは休日にしか見れないのですけど、こいつは閉じた時のネジネジ模様の方が面白いのであまり悔しくはありません。今日は家に居る時間が長かったので、いろんな時間のオキザリス・パルマピンクを撮ってみました。なお、写真が下手くそで全般に色がビビッドじゃなくてスミマセン。実物はもっとハッキリと、ピンクと白のコントラストが出ています。 ![]() 朝9時。まだちょっと開いただけ。 なお、ウチは西向きで正午まで直射日光が当たらないので朝9時でこのような状態ですが、東向きならもう咲いている時間だろうと思います。 ![]() 同じく朝9時。ネジネジがイイですね。 ![]() お昼の12時半。日光が当たって花開きました。 ![]() 16時。まだ開いてるかな? ![]() 16時半。ちょっとずつ閉じてきた感じが。 ![]() 17時。ほぼ閉じてしまいました。 ![]() 株元にはまだまだ咲くぞ!という勢いで花芽が準備中。 ![]() こちらは昨日朝8時半に撮った写真。 花が開いて閉じて、と動くわけですが、1花あたり1日で終わりということは無いけど、3日までかなぁという印象。手を広げたような葉っぱもなかなか味わいがあります。オキザリスは色んな種類があって葉の形も様々だけど、パルマピンクの葉は最も個性的な部類だと思います。 |
9月末~10月初め、仕事で盛岡に行ってました。盛岡に行けるのはとーっても楽しみだったのですが、何が楽しみだったのか?と言われると、「なんとなく」としか言いようが無くて(大汗)、「ここに行きたい!」という意志があったわけでもありません。しかし、行ってみると、とっても涼しくて快適で、普段関東でも当たり前に見れるありふれた草花でも超鮮やかな色をしていて(夏にくたばらないからからでしょう)、しかも後述のようにシャケの産卵も目撃でき、最高に楽しくいい気分で過ごせました。
まずは岩手公園(盛岡城趾公園)へ。盛岡城は江戸期は南部氏の居城だったそうな。現在の城趾入り口となる三の丸前には櫻山神社があり、三の丸整地の際に出てきた大岩が「烏帽子岩」として祀られています。 ![]() お城は石垣が残っているだけで、構造物は全くナシ。明治になって取り壊されたのですが、廃城令で積極的に破壊されたのではなく、民間払い下げの後、老朽化が激しかったためにほとんどの建築物が取り壊しor移築となった、とのことです。なお、東北地方においては、城郭には土塁が多い中、これだけ全面的に石垣が組まれているお城は珍しいそうです。しかし、全国的規模で見ればそれほど印象に残る石垣では無く、石垣を写真に納めるのを怠ってしまいました(汗)。 ![]() ![]() 櫻山神社南東側の細長い池を巡るようにできた庭園には花菖蒲がたくさん植わっていまして、その季節には非常に美しいことと思います。また、櫻山神社の道路を挟んだ向かい側の、お堀に囲まれたごく狭い下曲輪が2-3階建の小さいビルが密集した雑然とした地区になっていて、味わい深いです。ジャジャ麺の老舗「白龍(パイロン)」もその区域にあります。 盛岡といえばわんこそば・冷麺・じゃじゃ麺ですが、関東から盛岡に出てきたのであれば、そんな半ジャンクフード(そばには失礼?)よりも、まず寿司を食うべしと思います。海から多少遠くても、コストパフォーマンスの高さは東京近郊とは比べものになりません。高級でも無さそうなお寿司屋さんに三軒行きましたが、どこも高品質で感動ものでした。中でも、最も庶民価格らしい「三寿司(菜園総本店)」の「上にぎり 1200円」のコストパフォーマンスには涙が出るほど。この価格で中トロ・ウニ・ボタンエビが入っているのですぞ!なお、特上1750円ではマグロ赤身・中トロ・ウニ・ボタンエビ・アワビ・ホタテのにぎりに、巻き寿司はイクラ巻きと来たもんだ。アワビのにぎりなんて初めて食べましたよ。 あと、不思議と「担々麺」がよく目に入りまして、三大麺類に引き続き、4つ目の名物麺として担々麺が狙われているのか?なんて思いましたが。チェーン店の「陳麻家 盛岡駅前通店」でいただきましたが、十分美味しい担々麺でした。これまで、「美味い担々麺」を意識して求めて食べ歩いたわけでは無い私の舌ではありますが、今まで食べた中ではかなり美味い方と思えました。 ===================== さて、ハイライトの「サケの産卵」でございますが、何年か前、テレビで「盛岡市内の河川にもサケが遡上してきています」というのを見ていまして、この時期はちょうど産卵時期じゃないかなぁ?と、淡い期待を抱いていました。映像ではいわゆる「昔からの街」的雰囲気の場所だったので、岩手公園(盛岡城趾)のすぐ東の「中津川」だろうと思いそこで探してみました。 最初は「中の橋」で橋の上から眺めてみて、「見えそうにないな」と思っていたところ、「よのじ橋で見えたんだけどね~」と携帯でお話をしている方の声が聞こえてきました!「よのじ橋?どこだ?」とガイドの地図を見ると、おお、一本上流の「与の字橋」だな、と分かったので、川縁に下りて川を横に見ながら上りました。が、与の字橋までそれらしいものは見えず。う~ん、まぁもう1本上流の「上の橋」まで行ってみようか、と行ってみると、おお!何やら川を眺めている親子がいる!上の橋より50mほど下流の浅瀬でバシャバシャしているのが見えました。これが遡上の途中だとすると、もうすぐ橋まで来るか?と思って橋の上でスタンバイするがなかなか上がって来ない。改めて川縁に下りて現場を真横から見てみると、つがいで浅瀬に留まって、これから産卵しようとしている風に見えました。時々邪魔が入るみたいで、そんな時にバシャバシャ!と水しぶきが上がって魚影が川の上下に素早く動き、邪魔者を追っ払っているのが見えます。魚は7-8尾ほど視認できました。 ![]() デジカメで撮った動画もyoutubeにupしてみました(笑)。 場所は下の地図のピンクの丸を付けたところです。 ![]() 以上は2009年9月30日のことでした。 その後、仕事が終わり、家族を呼んで八幡平の温泉を巡り、10月5日に盛岡に戻って新幹線に乗る前に改めて見てみたのですが、同ポイントの鮭の数は明らかに増えており、上の橋の橋げた脇、細い流れをまたいで渡ると魚まであと1mという超至近距離に肉迫できる、くるぶしほどの超浅瀬においても活発な産卵活動を観察することができました。 ![]() 10月5日には、上の橋~与の字橋~中の橋の広範囲でシャケの遡上/産卵が観察できました。非常に興味深く、去ろうとするとバシャバシャッ!となって「オオッ?!」と思わず川に見入ってしまい、時間も無かったのにギリギリまでその場を離れることが出来なくなるほど我々夫婦は大興奮だったわけですが、見物客が少なかったのが意外でした。もしかして盛岡のこんな普通の川でシャケの産卵が見れるというのはあまり有名じゃないのか?これほど確実に見れるものだと認識されていないのか?それとも季節的にもうちょっと後だと思われている? ググってみると地方紙の新聞記事もヒットしました。例年なら9月中旬から見れるけど、今年は若干遅いとのこと。他の年の情報で10月半ば~11月上旬の目撃情報もヒットしますので、けっこう長期にわたり、少なくとも10月中はほぼいつでも、こんな姿が見れるのでは無いでしょうか。紅葉シーズン、東北に行く機会があれば、是非、盛岡・中津川のシャケも見て欲しいものです。 |
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