「Miracle of the Fishes」のkubosakuのブログです。 こちらは緩く気楽に行きたいと思います。
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岡豊城跡@高知県南国市と高知城
 ゆず庵の前に行った岡豊城。至近距離にあります。

 岡豊(おこう)城は、秀吉による四国征伐以前における長宗我部家の居城としてあまりにも有名。わたくしごときでは世のホンモノの戦国好きに太刀打ちできませんので歴史的経緯は省略。高知県立歴史民俗資料館が麓(というか、恐らく旧城域内)にあり、車ならそこに駐車して登ります。車で資料館まで来れば、楽に登城できます。山のアップダウンも大したことなく、規模も大きくないですが、全体を回ろうとすると、意外と歩きます。戦国好きには有名な所で保存状態も良く、史跡としても見るべきものはあるが、構造物は無く、石垣が立派というわけでも無いので、一般観光客向けでは無い。ただし、そこそこ山歩きをしやすく整備されていて草花や景色も併せて楽しめ、そっち目的のご年配の自然観察会の一団も来ていました。しかも、定期的にいらしているようです。



 案内板と、最初の急坂。山の北面側であるためか、アスファルト/コンクリートの斜面がえらく苔むしており、滑りそうでけっこう危険。雨の後なんぞはかなりヤバそう。手すりもあるので、特に下りは慎重に!



 坂を東に登ると東端の曲輪、二ノ段。後述の「詰」と同じくらいのそこそこ広いスペース。東は国分寺等の史跡もある平野、南には国分川が流れ、遠くに太平洋も望める。


 岡豊山頂上部は「詰」との名の、中心となる曲輪。1辺40mの三角形状。

 岡豊城はほとんど土塁ですが、三ノ段に、少しだけ石垣がありました。半分ほど崩れていたものを修復・整備したもの。


 展望広場からの眺めと、そこにある石碑。高さ5~6mはありそうな、ビッグサイズの石碑です。


 西に外れた位置にある(伝)厩跡曲輪に設置された遊具と一体化した展望台およびそこからの眺め。


 厩跡曲輪からこの階段を下りた先に、子供広場があります。厩跡曲輪を経由するとたいへんな遠回りですが、最初の登り口からここまで、ショートカットしても700~800mはあるので、ここまで来て遊ぶ子供達はいるんでしょうか(笑)。




 初秋の花が、いろいろ咲いておりました。上から、ツリガネニンジン、キキョウ、ツユクサとカタバミ、ヒガンバナ。

 資料館の入口では元親様がお出迎え。一緒に写真も撮れます orz


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 こちらは高知城。普通に登城する場合、県庁等や商店街がある南側から登るのですが、下の1枚は、普通の観光ルートでは通らない北面の石垣。ここが、北面であるため、涼しく、苔むしていて、木陰の陰影も絶妙で、非常に味わい深いのです。表側(南側)からでは天守を眺めながら登れるのはいいんだけど、こういう落ち着いた味わいがありません。是非とも、裏からも登ってみて頂きたいです。

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【2012/10/03 18:15】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
国宝・犬山城
 この2月に機会あって国宝・犬山城(愛知県犬山市)へ行ってきました。名古屋駅から名鉄犬山線で30分程度の犬山駅、又はその1つ先の犬山遊園駅から徒歩15~20分、特に山を登るわけでもないので、現存天守12城の中では最も訪問の容易な城なんですが、いつでも行けるやと思っているうち行きそびれていました。そして今回、ここを訪れたことによって、私もやっと江戸期の天守閣が現存するという12城全てを訪問したことになりました(ずっと以前に訪問した城もあるのでブログに全部載せてるわけじゃないけど)。
 犬山城へは、犬山駅からだと若干遠くて徒歩20分、1つ先の犬山遊園駅からだと徒歩15分とのことですが、城下町を通ってから犬山城へ向かう犬山駅からのルートの方が、「登城するぞ~」という気分がかき立てられてより良いのではないかと思います。私は、よく分からず犬山遊園駅から行きましたが、以下は犬山駅からのルートを想定した順序で掲載することにしました。

 本町通り。真っ直ぐ北へ向かう道で、その道の向こうに犬山城天守閣が見えて来ます。この本町通りや、魚屋町(余坂交差点の西)周辺が、歴史的町並み保存地区風になっておりました。「風」というのがミソでして(笑)、即ち、元々古い家もあるんでしょうけど、結構な勢いで、わざわざ昔風にリフォームしてまで揃えていくのが今まさに進行中という雰囲気で、これからもっと歴史的町並みらしく整備されていきそうだな~と思ったわけです(笑)。まぁ、いいんですけどね。そういう意味で、こういう町並みって、平成の時代ならではの観光地だよな~とか思ってしまいました。
 犬山は、モンキーパークというけっこう大きい遊園地&サルの動物園もあるので、昭和の時代からずっとそこそこの観光地だったと思われるのですが、私的には、この写真で、犬山城天守のすぐ左にある白いビルが、その昭和の時代の負の遺産だな~と思ってしまうわけです。このビルの1Fが、どこの観光地にでもあるお土産屋になっています。そして、こうして歴史的町並み保存地区風の通りから天守閣を見ると、この構図のようにビルが邪魔するわけで、非常に、現代の、じゃなかった(笑)、歴史的町並みの景観を損ねていると思います。
 しかし一方で、昭和の当時のセンスでは、今保存しようとしている町並みが顧みられず、観光客は天守の目の前の新しいビルでお土産買って何か食って満足だったんでしょう、きっと。時代を経て、古い町並みが失われていくにつれ、そういう古い町並みで生きてきた世代のノスタルジーによりそちらの価値が急浮上、そしてその世代がこぞって利用したはずの昭和の時代の建築物が逆に邪魔者に見えてしまうという・・・、あぁ勝手なものだな~と思うわけです。
 古い町並みを残そうとすること自体は、好ましいことだと思いますが。


 犬山城登城口は三光稲荷神社になっています。この境内を通れば犬山城近道です!という看板があっちこっちに出ています。鳥居をくぐればアッチではこの御利益、コッチではこの御利益ということで思わぬところに伏兵がゾロゾロと居るかの如く、お賽銭箱があります(笑)。思いっきり昭和的。まぁいいんですけどね、別に。


 さて、いろいろクラクラする思いが冷めやらぬうち、短い石段を登るとすぐに料金所と天守閣。なお、以下で紹介する、城下にある国宝茶室「如庵」を含む有楽苑とのセット券が1200円、お城だけだと500円。有楽苑単独では1000円ということで、有楽苑にも行きたければセット券の方がお得ということになります。しかし、普通、犬山に来て、犬山城よりも有楽苑に行きたい人って、どれくらいいるのかなぁ・・・? あ、茶道の好きな人ならそうでしょうが、一般にはこの値段設定だったら有楽苑行かないよな~と思うんだけど。有楽苑も500円、お城&有楽苑のセットで800円くらいが相場では無いかと・・・。
 さて、この犬山城は1600年以前からの金山城の移築であり最古の天守閣であるとの伝承がありましたが今ではそれは否定され、1600年頃?ということで、福井の丸岡城とどっちが古いかよく分からない状況のようです。アッチは地震でいったん倒壊してるんですけど。
 さて、この犬山城、私的にどう思ったかというと、まぁこんなもんかな・・・、というくらいの感想で(スミマセン)・・・。尾張の国で、徳川の名古屋城がある国の中で、こんなお城に誰がいたのか知らなかったのですが、尾張徳川家の家老の成瀬氏が代々城主であったそうで。


 天守閣から木曽川上流方向の眺め。



 城下の名鉄犬山ホテルの敷地内にある有楽苑。国宝茶室が、日本庭園有楽苑の中に配されている。


 これが国宝茶室「如庵」。内部の撮影は禁止につき、写真は外観のみ。説明してくれる方が近くで鎮座されており(内部撮影を止めるためもあるでしょうが)、この茶室の特徴や歴史についてご説明して下さりました。お茶なぞ全く知らない私には話の半分がはぁ~そうですか、というものでしたが。元々は織田有楽斎が1618年に京都建仁寺に立てた茶室で、明治時代に東京の三井本邸、続いて大磯(神奈川西湘)の三井別邸へと移築され、1972年に名鉄が買い取って現在の場所、犬山に移築されたとのこと。土塀であることもあって、これらの移築の際には建物がまるごと大型トレーラーで東海道(国道1号)運搬されたそうで(屋根だけ外されたこともあるらしい)、たいへんな経緯でもって現在まで保存されているとのこと。これだけの距離をまるごとの状態で行ったり来たりしていることの凄さは私でも十分理解出来ました(笑)。

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【2012/02/25 23:29】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
白河小峰城・白河ラーメン・新菊島温泉
 間がだいぶ空きましたが、福島・栃木の旅行記の続き。須賀川牡丹園に引き続き訪問した白河小峰城。元はこの地方の結城氏が南北朝時代から居たところ、秀吉により改易され、以降会津領の一部となりました。現在の規模に整備されたのは江戸初期、丹羽氏がここに来た時代。以降城主はコロコロ変わり、幕末の戊辰戦争では激戦地となり、大半を消失して落城しました。現在の天守(三重櫓)は平成6年に復元されたものですが、普通は鉄筋コンクリートで外見だけそれっぽくするところ、全て木造で復元されており、100名城にも選定されています。しかし、復元から17年経ったところで大震災に遭い、石垣が大きく崩れて現在は本丸には立ち入り禁止・・・

 本丸への入り口はこのように封鎖されております。こうなっていることは事前に知っていたけど、城郭ファンとしてはせっかく近くに来たからには立ち寄ろう、ということでやってきたのですが。


 その封鎖されている場所から奥を撮るとこんな感じ。だいぶ崩れています。


 こうやって撮ると、立派な天守だ、と思うだけですが・・・



 手前の石垣は大きく崩れ、樹木が堀になだれ落ちています。


 二の丸茶屋は4月27日から再開しました。メニューもけっこう少なくて、ちょっと寂しい感じ。ほとんどお客はいませんでしたが、せっかくなので「あんみつ400円」を2人で注文すると、これが結構、400円とは思えない高クオリティー。あんみつはもちろんのこと、付け合わせのミョウガの塩漬けがいい塩梅でアクセントとしてとっても良かった。




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 ご当地グルメとして「白河ラーメン」ってけっこう有名なんですね、ガイドで調べて白河の南湖公園のほとりにある「火風鼎(かふうてい)」でチャーシュー麺をいただきましたが、ダシが美味すぎてチョー素晴らしかった。まさしく"うまみ"が凝縮したような味わい、近くにあれば何度でも食べに行きたくなる味だなぁと思いました。11時半頃行きましたが、人気店のようで、程なくジモティーでいっぱいになりました。




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 こちらは須賀川牡丹園と小峰城の間で立ち寄った"新菊島温泉ホテル"。鏡石町、4号線を南向きに走る場合は地名で久来石南のあたりに、一般人が見れば、潰れた温泉ホテルのものだろうなと思うほど色あせた看板があり、それに従って右折、やや細い道を進むと別の看板があり、そこに「新菊島温泉ホテル」があります。建物はこんな感じなんですが、右の玄関前の看板がえらく見にくい方向に向かっている。よ~く見ると・・・

 ここで「water」と主張することに何の意味があるのか?さらに・・・

 玄関前の「water新菊島温泉」を正面から見ようとすると、この構図になる。塀と庭で、肝心の表示が全く見えない、即ち、看板の設置方向が完全におかしい(笑)。なんていい加減なんだ。

 さて、温泉内の画像は無しですが、「新菊島温泉ホテル」で検索していただければ多数の温泉サイトがヒットするので、温泉の画像はそちらにお任せします。泉質は山梨の甲府盆地の「モール泉」と体感的にほぼ同じ色、肌触りのヌルヌル系。泉温は39-40度ほどと思われ、湯船は大きく、源泉がドンドコ掛け流し、ぬる湯長湯系ですが、長湯すればじんわり汗ばむほどの温度。お湯はとっても好きなタイプで素晴らしい。湯船は馬蹄形で男湯~女湯が全て繋がっており、女湯側は木のドアで仕切られている。そこそこ深さがあり、やや黄緑色がかった湯で掛け流し量が多く水面が常にさざ波立っているため、女性も湯に首まで浸かったまま混浴の方に侵入しやすい。混浴の湯船は十分広く、女性が進入するハードルは低い。
 しかし、来たタイミングが悪かったのか、掃除が行き届いていなかったのが惜しい。全般にB級度が濃厚で、寂れすぎている感じが辛い。湯船も洗い場も、泉質のせいでヌルヌルでめちゃくちゃ滑りやすい。特に、洗い場から湯船に下りるところのタイルに緩やかな傾斜が付いていて、私の体感的に過去MAXの危険度。料金は300円と安いが、受付が適当で、子供の料金は必要かと聞いたら、子供分も300円請求されたのだが、黙っていれば大人2人分で入れてくれたであろう。まぁ、元が安いから別にどっちでもいいんだけど。
 以上、今やホテルとしては絶対に営業していないであろう廃れっぷり、味わいもへったくれもないただのBスポ風なのは残念だが、温泉の質・量、ともに類い希なる一級品。それを知っている温泉マニアやジモティーはたくさんいるようで、お客はそこそこ来ていました。「泉質命」の方なら大満足だと思います。





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【2011/05/27 22:03】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
松江城@島根県松江市
 昨年8月、月山富田城を訪問した際に、併せて松江城にも行っていました。Upするのを長らくサボっていたのですが、改めて写真を見てみたら天守閣が超カッコ良かったので、やっぱりきちんと記録しておこうとUpしときます。

 松江城は現存12天守のうち1つ、ちなみに個人的には、ここを訪問したお陰で、あとは犬山城へ行けば現存12天守を全てを訪問したということになるので、無理して時間を作って島根まで来た甲斐があったというものです。犬山城は愛知県だから、行こうと思えば帰省の際にどうにかできる。

 松江藩は、関ヶ原の後に堀尾吉晴の所領となりました。関ヶ原直前、上野国の小山における会議、馬を並べて会議の行われる陣幕に向かう堀尾忠氏と山内一豊、一豊が忠氏に、会議はどのようになるだろうか、それとなく相談すると、忠氏は「当然家康に付く、そして東海道にある自分の城(浜松)も兵糧も全て家康殿に明け渡す」との秘策を漏らす。さて、いざ会議となったその場において、まず「家康に味方する」旨の発言で口火を切ったのは福島政則、引き続いて発言したのは忠氏ではなく一足先に一豊が発言、なんと「我が掛川の城と兵糧は全て家康の好きに使ってくれ」という、人の策を盗んで発言、そして東海道の城と兵糧は全て家康の自由に使ってくれとの流れとなる。山内一豊は関ヶ原では殆ど戦功は無いのですが、この発言の功により、掛川6万石から土佐24万石に加増される。一方の堀尾も小山では良いところを一豊に取られてしまったわけですが、浜松12万石から出雲富田24万石(のちに松江城を築城し月山富田城から移り、松江藩となる)に加増となりました。

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 天守閣。松江城はほとんど堀尾氏の代に造成されておりますが、安土桃山風の白い外壁でなく、戦国気質の残る黒い外壁、天守入り口の破風が大きく玄関のように突き出ている形、いずれも質実剛健でカッコイイですねぇ~。


惚れ惚れするほどカッコイイのでもう一枚!



天守閣から南方の宍道湖を望む。



お城のお堀は広く、遊覧船が出ております。たくさんの方が船遊びを楽しんでおりました。


 お堀の続き。周囲には松が植わった歩道が整備されており、船遊び、公園など、市民の憩いの場ともなっているところに江戸期以来の豪壮な天守閣が残っている。標高が高いところにあるわけでなく、天守を訪ねようと思えばそこそこ簡単にアクセス可能。歴史の重さと親しみやすさを兼ね備え、県庁所在地にあって然るべき由緒正しきお城として、松江城はナンバーワンだな~と思いました。高知城も同条件ですけど、お城としては、私は松江城の方が好きだな~なんて。スミマセン、好みの問題で。

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【2010/03/03 22:03】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
郡山城跡と金魚グッズ@奈良県大和郡山市
 奈良に観光に来ると行っても、大和郡山城跡に来る人はあまりいないでしょうが、なかなか味わい深いお城でした。元は筒井順慶が築城し、程なく豊臣秀長が城主として入り、現在の規模の城郭に整備されたそうです。いい採石場が近場に無かったのか、大急ぎで造ったからか、平城京羅城門の礎石や方々の寺院の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵までかき集めて石垣にしたとのこと。確かに、石の形は不定形で積み方は荒っぽく、あまり美しいものではありませんが、今となってはその荒さが味わいとなっています。しかし、石仏まで集めて石垣にしたとは罰当たりな、そんな調子だから豊臣の時代も短かったんじゃないか、なんて。

話は変わりますが、大和郡山は金魚の一大産地としても有名だそうで、地図を見ると、大和郡山市には小割の池がえらくたくさんあるのが判るのですが、多くは金魚の養殖池だとか。最近は後継者問題から金魚養殖は廃れ気味だそうですが、後述のようにカワイイ金魚グッズもあるので、お城と金魚で盛り返して欲しいものです。

 法隆寺から郡山城へ行くには、JR法隆寺駅からだとJR郡山駅がお城からやや遠いので不便、JR郡山駅近辺にはレンタサイクルが無さそう、一方、近鉄郡山ならお城に近くていいのだけど、法隆寺近辺には近鉄線が走っていない、JRから近鉄へ乗り換え至便な駅もその間には無い、ということで、電車での移動が厳しいのでバスを調べてみると、ありました! 1時間に1本ですが、法隆寺~奈良市街を結ぶバスが、郡山城付近を通ります。法隆寺前からバスに乗って10数分、「郡山天理教会」で下りるとそこは郡山城の裏手。もちろん、普通に近鉄線に乗り換えられるところが起点なら、近鉄郡山駅を目指せば問題なし。

 近鉄郡山駅からアクセスすれば普通に表から登城することになりますが、今回はお城の裏手のバス停で降りたので、裏側から。


バス停を下りてすぐ、空堀が見えます。


 そしてすぐに鰻堀池。元々農業用水調整池として使用されていたものを、そのまま外堀の一部としたそうな。今はこんな風に親水公園に整備されております。水は泥っぽくてあんまりきれいじゃないですが、なかなかいい雰囲気に整備されています。

 鰻堀池に続いて見えてくるのは鷺池。これも外堀の一部でしょう。気持ちの良い場所です。

 鰻堀池と鷺池の間から天守跡方面へ向かいましたが、元城域内の、お堀と石垣がこんなに近い狭い道を、一般車両や自転車がごく普通に利用していることに驚きます。確かに、この道を通らないと郡山高校に行けないのだけど。

 柳沢家が藩主だった時代が長かったようで、本丸の神社は柳沢神社。また、毘沙門曲輪に柳沢文庫があります。


天守台。


 天守台から東北東方面の眺め。左遠くのはげ山は恐らく奈良公園の若草山。そういえば、天守台には「さかさ地蔵」があるとガイドに書いてあったような気が。現地にはろくに案内も無いので危うく忘れるところでしたが、天守台上から登ってきた口の反対側を覗き込むと・・・。


あった、あった、ここに違いない。



改めて天守から下りて裏手に回る。すると、こんな風に「さかさ地蔵」の立て札が。


 失礼して岩の奥の尊顔を激写させていただきました。うつぶせに、頭を斜め下方向に天守台内に突っ込むような形でお地蔵様が積み込まれています。痛ましや。こんな風に、天守台にはいくつものお地蔵様が積まれているらしいですが、ぱっと見ただけでは他にもあるかは分からなかった。

 さかさ地蔵の周囲には数多くの風化しかかっている石仏・お地蔵さんが置かれていますが、これらは路傍で忘れ去られたものや工事で掘り出されたものなどを、誰とはなしにここに運んだものだそうです。寂しくも、心打たれるばかりです。風雪に耐え道行く旅人を長年見守ってくれたお地蔵様が、役目を終えてここで安らかに過ごされている、ということか。

 本丸東側の石垣。崩れはしないかと不安になるような粒揃いの悪さ、いかにも慌てて大きな城郭を造ろうとしたという感じ。でも、小汚いというよりは、今の時代ならこれはこれとして味わいがあると思いますが、先にも申し上げたとおり、かなり乱暴な方法で石を集めたのも事実。単純に、よく頑張って造ったな、なんて思うことはできない。

 表に出て、入り口付近の多聞櫓を望む。これは再建ものだそうですが、なかなかいい造り。枯れ木はもちろん桜で、その季節にはさぞ立派に見えることでしょう。普通は、こちらから入城するものですが、私は逆ルートで歩いてここが終点。

 郡山市街地で過ごす時間は殆ど無くて、こんな感じの、中央に水路のあるちょっとした風情のある通りに・・・

 「こちくや」という、豊臣秀長の幼名「小竹」にちなんで名付けた金魚グッズ屋さんがあります。

 ゲットしてきたものの一部。真っ赤な金魚は、ウド鈴木がナントカという番組でカバンに付けて歩いているんですよと店のご主人に教えていただきましたが、番組名は速攻で忘れてしまった(汗)。

 奈良と言えば、飛鳥~天平文化の遺跡を尋ねるか吉野の桜を見に行くか、というのが普通ですが、大和郡山もけっこう味わい深いと思いませんか?! 居並ぶ国宝にドドーンと圧倒される感動もいいですが、じわじわ効いてくる感動もまた良いものです。また、ちょっと離れた所の金魚資料館や羅城門跡など、行きたいところはまだあったのですが、時間が無くて残念!

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【2010/03/01 22:03】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
姫路城と好古園@兵庫県姫路市
 さて、神戸市長田区に引き続き、新幹線で20分、新快速なら40分程度西へ行った姫路市の姫路城にも行ってきました。世界文化遺産、「白鷺城」の名でも有名な、日本で最も美しい名城。私は大学生の頃、まだ世界遺産とかいう言葉が無かった時代に一度訪問していたのですが、ここ数年で各地のお城を訪ねているので今改めて見てみればこのお城の価値もより深く感じられるかもしれない、と思って再訪した次第。結論としては、世界遺産だからといってそれほどの猛烈な感動があったわけじゃないけど・・・(爆汗)。姫路は、関ヶ原の功により池田輝政が拝領した土地で、城郭は大方、池田輝政の時代に造られたもの。池田家は2代目で転封となり、次は桑名より本多平八郎忠勝の嫡男・本田忠政が入城。その長子、本田忠刻の正室が大阪城落城の際に救出されたという、徳川秀忠と正室・お江の方との間の第一子、元・豊臣秀頼の正室であった千姫。その千姫にちなんで、千姫ぼたん園、千姫の道などと名付けられているところもあります。

 江戸時代初期から現存する城郭がこれほどしっかり残っているというのは確かに素晴らしいことで、お城としても確かに美しい。天守閣のみならず城域全体としても整備が行き届いていて本当に見事である。しかし、なんだかドドーンと圧倒するほどのものを感じなかった、というと怒られるかなぁ・・・。松山城、備中松山城、岐阜城、月山富田城、原城趾などを訪問した時のような感動が無かったんだよなぁ。そう考えると、どうも私的には、単純に高い高度へ「登る」ことや、城郭攻防の歴史と重ね合わせることが、感動をもたらす要素として重要なのかもしれません。「登る」ことに関しては、「身ひとつで登るだけでもしんどい山の上まで、どんだけ石運んで来たんだよ」と、その労力を想像して驚いているという感じです。というわけで、姫路城はやや小高い丘の上に立っていますが、私的な感動レベルとしてはそれほどでも、ということに・・・、いえ、それでも十分面白かったのですけど。あと、建物ばかりに目が行ってしまって、石垣とか堀の深さに注意を注ぐのを忘れたのもいけなかった。これだけの城なのだから、石垣だってけっこう立派なはずですが、それがほとんど印象に残っていないというのはどういうこと? 石垣を見るのを忘れるくらい、建物が素晴らしかったのかもしれません(?)。まぁしかし、明治期に天守閣直下の備前丸が火災に遭った際にも天守は燃えず、また太平洋戦争の空襲でも燃えず、天守閣には焼夷弾が不発弾となって転がり込んでいたというのだから、たいへんな強運で生き残った天守閣なのです。天守には「播磨冨姫神」が祀られていますが、うちも火災なぞに遭わぬよう祈願してきましたよ。

 左の方が西ノ丸、右に見えるのは大天守・小天守。天守を含む8棟が国宝で1601年の築城以来のものだそうです。さらに74棟が重要文化財、これらは江戸期以降に修築されたものもあるかもしれませんが、いずれにせよ、これだけ広い城域がほぼ往時の姿のまま保存されているというのは驚異的です。

もうちょい近くから天守閣を望む。おお、なんだかとっても見覚えのある構図。切手の旧・国宝シリーズの姫路城はこんな感じの構図だったかな?

 天守閣を直下の備前丸から仰ぎ見る。この写真を撮った場所にあった建物が明治期に焼けたそうで、それでも天守は残っていた!のです。

 大天守最上階から西ノ丸方面を望む。一部、青いシートが被っていて修築中のようです。ガイドによると「大天守は保存工事のため2009年秋~2014年まで一部見学に制限があります。」とのことです。この間、肝心の天守に上れないとか、天守にシートが被さる等の時期があるかもしれませんので訪問を考える際には要注意、ネットで調べるなり、現地に問い合わせるなどするのが良いでしょう。


大天守から見た小天守方面。いやはや、これらが築城当時のものだとは素晴らしい。



大天守から南、駅方面の眺め。車道ばかりでなく、歩道も非常に広い大通り。


 お城の南西、西御屋敷跡の日本庭園、「好古園」も、姫路に来たなら絶対に併せて訪問すべし!と思います。昭和60年からの発掘調査で確認された西御屋敷跡、武家屋敷跡、通路跡などの地割を活かして造園された庭園で、平成4年開園ということだから歴史もへったくりもない、最近造られた庭なのですが、この庭の四季の姿を全て眺めてみたい、そんな風に思わせる、たいへん味わい深い庭園です。広い庭園が土塀で小割にされていて、一つ一つ、異なるテーマで造園されています。細かい説明は面倒なので、いくつかの画像を載せておきます。私の訪問時(2月中旬)は、椿や梅がやっと咲き始めたくらいで、お花的にはまだまだこれから、という季節ですが、それでも非常に素晴らしいと思いました。残念ながら姫路城に比べて知名度が低く、こちらまで訪問する方は少ないみたいで、お城より格段に観光客が少なかったのですが、勿体ない!問題なのは、お城の券売システムだと思います。自動券売機には「姫路城のみ」の券しか無くて、「好古園とのセット割引券は受付で買って下さい」なんて風に書いてあるのですが、非常に分かりにくくて、普通の人なら思わず姫路城のみの券を買ってスルーしてしまいそうです。ここが商魂逞しい近江との違いでして、これが彦根城なら確実に、「好古園とのセット券のみの販売となります」となっていることでしょう(笑)。まぁそれはやり過ぎですけど、せめてセット券も、券売機で、目立つ位置のボタンで、英語/中国語/ハングルでの宣伝文句もきちっと付けて、買えるようにした方がいいと思います。せっかくのいい庭園、最近できたのものだからって遠慮することはありません、世界の人々にもきちっと宣伝して見てもらっても全く恥ずかしくない、立派なものだと思います。













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【2010/02/27 22:03】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
月山富田城 (島根県安来市 (旧・広瀬町))
 島根県安来市(旧・能義郡広瀬町)には、尼子氏の居城としてあまりにも有名な月山富田城があります。8月に機会あって訪問したものを2ヶ月も経ってからUpするのもなんですが、お城マニア的には重要な所ですので記録として書いておきます。
 月山富田城は難攻不落の城として名高いのですが、攻防の記録によると、大内氏(毛利も大内氏の傘下/協力軍として出陣)、による攻撃を1度撃退しました。この出雲侵攻の戦いも一因となって大内氏が衰退した後、尼子氏が晴久のもとで隆盛するのですが、義久の代になって毛利元就により連年にわたり2度攻囲され、その2度目は1年2ヶ月の長期戦となり落城しました。その後、月山富田城は毛利氏の支配下となりました。
 その後は、山中鹿之介が糾合した尼子残党が出雲国を席捲し、月山富田城が最後の砦として残ったのですが、攻撃を受けたものの毛利方は持ちこたえ、程なく残党側が敗退しました。
 秀吉の時代には毛利一族の吉川広家の居城となり、関ヶ原後は堀尾氏が出雲・隠岐23万5千石の領主となり、1611年に松江城が完成、移転して月山富田城は廃城となりました。

 以上のような歴史・時代のお城ですので、天守閣のようなものはもともと無いと思いますし原城趾のように構造物はほとんどありませんが、天然の要害を利用したお城で、そんじょそこらの城郭には無い、圧倒的な味わいがあります。

 場所は、鳥取県との県境に近い島根県の東の端、安来駅より飯梨川を遡る方向へ10kmほど進んだ所。今回はレンタカーで訪問したのですが、そうそう、この辺、と思った所に、アレッ?!模擬天守みたいなものが見える・・・! おかしい、月山富田城にはそんなヘンな構造物は無いはず、しかも場所がちょっとずれているような・・・、と、訪問時はすぐには分かりませんでしたが、これは「富田山荘」という温泉旅館の建物でした。ややこしい!

 安来駅からバスでも来られますが、ちょっとキツい本数ですかね(笑)!

 道の駅「月山富田城」に十分な駐車スペースがあるので、そちらに駐車して登城します。この模型は登り口付近にあるもの。だいたい赤線のようなルートで登りました。赤線の通っていない、この画像で言えば右下のあたりが「巖倉寺」で、堀尾吉晴の墓所があり、墓所のみならずその近辺の石垣も見所だそうで、ここをスルーしてしまったのは痛恨の極みでありました。さらに、飯梨川を挟んでちょうど対岸付近にある「三日月公園」には尼子経久の騎乗像があって、これも見逃しておりました。あぁ、こんな所まで来れる機会はもうないかもしれないというのに・・・。

 「城跡の散策はマムシとハチに注意してください。」だそうです。茂みに足を踏み込むのが怖い!でも、獣道を歩かざるを得ないところもありまして、もう飛び跳ねるように進みましたよ(大汗)。

 「太鼓壇」にある山中鹿介幸盛の銅像。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという姿のイメージでしょうか。「山中御殿」までの曲輪における最大の見所でしょう。

 「奥書院」にある戦没者慰霊碑。

 たびたび、こんな所を歩かざるを得ず・・・う~む・・・

 山中御殿。もとはここが城主の居住区域だったようです。左の方と、右奥の階段(段差が非常に高い!)の2ヶ所から本丸に突撃できますが、程なく1本に合流します。

 「七曲り」と呼ばれる、本丸へ続く道。急斜面を何度も折れながら進みます。もちろん、これは下を見て撮った写真。なにぶん、8月でこの山道、死ぬほど大汗かきました。

 七曲りを登り切ったところが三の丸。本丸まで、まだ登りはあるけどここまで来ればもうちょっと!

 山頂を含む尾根が平らにならされた感じの二の丸。その入り口付近の鳥居。

 二の丸、の終点。あれ?これ以上、登るところ無いのに?と思ったら、二の丸のすぐ脇に、いったん少し下りて登り直す場所があるのが見えて、そちらが本丸だと分かる。

 本丸です!お疲れ様でした!

 本丸からの眺め。若干ガスってますが、宍道湖、島根半島までよく見えました。

 本丸の一番奥は、尼子氏の時代に城内の守り神であったという大国主命が祀られている勝日高守(かつひたかもり)神社。

 時間があまりなくて、大急ぎでの上り下りでしたが、登りはそれでも堪能しながらで40分、下り25分くらいだったと思います。しんどいですが、まぁどうにか往復できるレベルです。こんな城跡でも一人で登ってくるマニアと何人かすれ違い、また数人の集団もいたりして、そこそこの人気スポット(?)のようです。

 なお、せっかく訪問するのなら、初めの方に書いたように、下りで巖倉寺に立ち寄り、さらに川を挟んで対岸の三日月公園にある尼子経久像も合わせて見るのがよいでしょう。

 ここと松江城、玉造温泉のセットで訪問したのですが、個人的には、この訪問により、遂に47都道府県全てに某かの形で訪問した、ということになったのがまたとっても嬉しかたりして。

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【2009/10/14 23:52】 | 城郭巡り | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
原城跡 (南島原市(旧・南有馬町)
 先の記事、島原城に引き続き訪問した原城跡。ブログ的にはだいぶ間が空いてしまいましたが(汗)、せっかく印象的なところに訪れたので記しておきます。島原にやってきたのは、島原城よりも原城に来ることの方が主目的だったもので。

 原城は有馬氏の統治時代に使用されていたお城。有馬晴信はキリシタン大名として有名ですが、徳川の時代、大阪夏の陣の後になって島原を治めたのが、夏の陣の功で大和五条から移った松倉重政。しかし松倉氏の親子2代にわたる圧政、特に石高に見合わないほど壮麗な島原城を築城したことで領民からの搾取が激しかったこと、およびキリシタン弾圧により、有名な「島原の乱」が起こりました。島原の乱において、ここ原城に立て籠もった一揆軍が3万7千人、そのほとんどが戦死・刑死となったわけです。原城は松倉氏の時代において廃城となって石垣はだいぶ島原城に運ばれていたのですが、元が広大で天然の要害であったため、一揆軍がこれを城塞として利用しました。島原の乱では島原半島南部の農民はほぼ100%参加しその殆どが死んでしまったわけで、乱後は人っ子一人いない地域となってしまったとか。その後は移民を募り、特に天領だった小豆島からの移民が多かったそうですが、全国各地から人が移り住み、今の島原南部の地域のご先祖になっているということです。島原の乱、もちろん知ってはいたけれども、これほど凄惨なものだったのかと、驚くばかりです。小中学生の歴史の時間では、島原の乱が1637年とか天草四郎とかそんなことを覚えさせるのみならず、3万7千人の一揆が全員玉砕するとはどういうことか、もうちょっと真剣に、どれほど凄惨なことが起こったのか、きちんと伝わるようにすべきなんじゃないかなぁなんて。

 さて、今の原城跡は、天守閣の部分のみが史跡として残されていますが、それ以外はほとんど農地、一部は宅地だったり、温泉施設になったり、という状況です。かつて何万もの人が血を流した城址も、普通に人が暮らす、どこにでもある静かな田舎になっています。しかし、そんな農地に妙な起伏があったり、くずれた石垣の跡が残っていたりと、広大な城塞であった名残があります。

 こちらは籠城時掘ったという空堀のようなところ。このように、ビニールヒモで十字架がかたどられていました。

 天守跡。島原城へ持って行かれなかった、残りの石が無造作に転がっております。左上の方に、白い柱のようなものが遠目に見えるかもしれませんが、それが2つ下の写真の十字架となります。

 天守跡にある天草四郎の像。当時で16歳ほどだったそうですが、勝手に色白細面のイケメンという印象が植え付けられているところ、この像は桃太郎、もしくはそのへんの腕白ボウズのよう。


 白い十字架が夏の青空に映えます。ただ白い十字架があっても人は何とも思わないだろうけど、ここが何万ものキリシタン農民が戦死した場所だと思うと、この美しさが涙を誘います。


 天守は一番海に近い、崖の上にあります。海にむかって、このように小さな聖人像が立っています。


 天守から見える農地。ひまわりやトウモロコシ、サトウキビ?と思われるものが多くて、その他細々といろんな野菜が植わっていましたが、このへんも全てかつての城域でした。


 ちょっと下りた海岸から見た天守跡。


 ここは単に城址として残っているだけで、全く観光地化していませんが、私が居る間にも10名ほどの方が出入りしていました。城域(といっても、車じゃないと天守まで移動できない距離)に温泉もあるからそれとセットでいらしているのかもしれませんが、このような場所のわりには訪れる方はそこそこいらっしゃるようです。

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【2009/08/15 14:03】 | 城郭巡り | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
島原城
 長崎県の島原半島を回ってきたのですが、その時の訪問先をいくつかUpしようと思います。まずは島原市、島原城に行ってきました。島原鉄道の島原駅からすぐの位置にあります。東に島原湾、その向こうは熊本市、西は急峻な雲仙の山が控える、絶景の地に立っております。天守閣は昭和39年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。城郭は明治時代に取り壊されたため、外見の記録はしっかりしていて、模擬天守とかイメージとかのいいかげんなものではなく、往時のものをきちっと再現しているようです。天守閣は最上部以外に破風が無くてあっさりした感じ。天守閣の写真は何度か見たことがあるので、建築物自体には特に感動も無かったのですが、天守閣で驚いたのは、城内展示のうちの島原の乱の説明でした。圧政と禁教に対しキリシタンの農民が数万人も蜂起して・・・ということはもちろん知っていましたが、なんと、島原半島の南半分の地域の農民は100%参加し、殆どが戦死/処刑されたため、乱の後は全くの無人の地域になってしまったということには驚きました。その後は各地から移民を募って復興に努めたそうで、特に天領だった小豆島からの移民が多いとのことですが、移民は各地から来ているので島原半島南部の町村では地域ごとに風習・風俗がけっこう違う、とのことです。


 さて、訪問して最も驚いたのは、このように石垣が重厚で、堀が非常に深く広大である、ということです。水はほとんど抜いてあって、堀の底も歩ける部分があるため、その深さが際だっています。この石垣と堀とが、もっと有名になってもいいくらいだと思います。


 蓮がたくさん植わっているところもあります。いやしかし、たいへん立派なのはいいのですが、初代藩主および二代藩主の松倉重政・勝家は、キリシタン弾圧はもちろんのこと、たいへんな賦役を農民に課しこの城を造ったわけで、この壮麗さにただ感嘆するわけにもいきません。まぁ江戸時代に建てられた城郭は多かれ少なかれ圧政の上に成り立っているものだとも言えますけど(戦国/安土桃山時代の城郭は一概にそればかりとは言えないと思います)。次に、南島原市(旧・南有馬町)の原城跡も訪問しましたが、そちらからも多くの石が島原城まで運ばれてきたとか。


 お堀の底の一部が菖蒲園になっています。もちろんこの季節は葉っぱのみでしたが、かなりの株数が植わっていて、見事なものであろうと想像されます。


 これまた驚いたのが、その菖蒲園の脇で株分けされた花菖蒲のポリポットが、ざっと数えて8000株ほどもあったことです。もの凄い作業量であることが想像されて唖然としてしまいました。まぁ、施設の仕事としては当たり前なのかもしれませんけど。


 こちらは島原城のすぐ近くの武家屋敷の通り。中央に細い水路があって、両脇は石塀のある家々があります。家は、一部観光用に残してあるもの以外は普通の建築ですけど、どこも立派なお庭があって羨ましかった。植物好きなお家の玄関先は見ていると面白いですね、間口はけっこう広いのに、鉢やコンテナが大量にありすぎて、人が通れるところは、左右に注意して一人がやっと通れるくらいしか空いてなかったりして。


 その武家屋敷通りのあるお家に植わっていた植物。巨大な葉っぱ(手前はラベンダー)! これはバナナですよね? 2軒でこのような葉っぱを見ました。 ウチではバナナはちょっと無理だけど、近いうち、パイナップルを育ててみたいなぁなんて、ちょっと思っています。実がなるサイズまで育ったところで庭植えにしたら、道行く子供たちにもウケるんじゃないかなぁなんて。

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【2009/08/03 22:11】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
松山城・道後温泉
 2月末に、松山城へ行ってきました。個人的には10年以上前に松山へは来ていましたが、その時は遠巻きに見ただけで、道後温泉に泊まっただけでした。なにせ、その時は集団だったので、個人で好き勝手するわけにもいかず。

 松山城は市街地中心からもアクセスは良いです。伊予電の松山市駅から徒歩10分もしないうちに市役所・県庁の近辺となって、松山城が見えてきます。
 う~ん、一応天守閣が見えてますがどうでしょう?! 10年前にこのお城を見たときは、「あれに登るのは大変だろうなぁ・・・」なんて思っていました。城の東側にはロープウェイが設置されておりますのでそれを利用するのが普通なのもしれません。しかし、私は半月前に備中松山城を踏破した後ですから、あの時の距離感、麓から全く見えない城に登るのと比べれば、この距離なら余裕だろうと思えました。松山市駅は城の南側にあり、ロープウェイに乗るには城のお山の東側へぐるっと回る必要があって、それも案外距離があるので、時間的にも松山市駅方面からまっすぐ登る方が早そうにも思えました。

 松山城の山(勝山)の麓の県庁です。明治時代からの建物でしょうかねぇ、申し込むと、県職員が普通に働いている職場だというのに、中を案内してくれるらしいです。

 で、その県庁のすぐ脇から松山城に登ることにしました。ここに見えるのは二之丸。ここは2代目藩主(蒲生知忠)の時代から普段の居住区域となった処で、建物は明治時代に燃えて無くなり、現在は二之丸史跡庭園として整備されています。庭園では、大井戸の遺構が見ものでした。かなり巨大な井戸で驚きます。

 二之丸へ行く道と分かれて、このような急な坂道を登ります。砂利だったら確実に滑って転ぶであろう、というくらいの坂道。スキーでも直滑のみ降で下りるのは不可能な斜度、最大15度くらいか。上りは当然キツかったですが、下りも、足の運びを慎重にしないと膝を痛めてしまいそうです。

 途中の坂道はこんな感じ。

 県庁脇から、15分ほどでロープウェイの山上駅にたどり着けます。しんどかったけど、速度的には歩いて正解! とはいえ、こんな寒い日に大汗かいて、その後天守閣では汗が乾いて冷えて、風邪をひいたりはしないかと心配になりましたが。この道はロープウェイの山上駅周辺の、お茶屋・土産屋のある広場からの道。

 天守閣が再び見えてきた! 右の石垣は本丸の石垣。これまた立派な石垣で感動的!

 そして本丸に到着。おつかれさま!って、あんた誰やねん(笑)。初代藩主・加藤嘉明のつもりかなぁ。ユルキャラとして売りだそうとしている類のものでは無さそうです。

 気をとりなおして、本丸の梅と一緒に天守閣を撮ってみた。いい感じだけど、霧雨で霞んでるなぁ。

 天守閣への入場料を払ってすぐのあたりからの天守閣。やっと鮮明に見えました。カッコいいですねぇ~! 戦乱の世を生き抜いた武将のお城らしく、実践向けの鉄砲狭間や石落としが非常に多いお城、だそうです。

 天守閣です。いやしかし、築城場所も石垣も遺構もたいへんカッコイイ、トータルとしてたいへん素晴らしいお城であります。松山城は、江戸時代に建築された天守閣が現存する12城の一つで、確かに天守閣は価値の高いものです。しかし、松山城が素晴らしいのは、天守閣のみならず、天守近辺の構造物 (復元が多い) が悉く木造で、当時の面影をも色濃く残していることにあると思います。
松山城は明治の廃城令でも殆ど破壊されず、太平洋戦争で焼失することも無かったのですが、明治から昭和初期の間にかなり頻繁に、あちこちが放火等で焼け落ちてきていたのです(もちろん、天守閣は無事だった)。焼け落ちた天守閣付近の構造物の復元が一通り終わったのが昭和46年か48年頃なのですが、普通、その時代なら鉄筋コンクリートで造ってしまうところ、たいへんな努力を払って伝統的な木造建築で復元を行ったそうです。このような努力のお陰で、トータルとして非常に素晴らしい、単に往時の天守閣が現存するというだけで無い、立派な名城と感じられるのだと思います。松山城の火災と復元の歴史は、天守閣内で流れるビデオで詳細に紹介されています。ちょっと長いビデオですけど、是非ご覧になって先人の努力を知っていただきたいと思います。

 今回の訪問で、私は天守閣の現存する12城のうち、10城を踏破したことになりました。 去年、今年と、けっこう強引に回ったもんなぁ。あと残すところは松江城と犬山城です。犬山城は帰省の道中で行ける位置にあるので数年のうちに行けるでしょうが、松江はしばらく厳しいなぁ。

 お城登りの汗を流しに温泉へ、のつもりが、冷えきった体を温め直すために温泉へ、ということになってしまいましたが、松山市内、路面電車に乗ってすぐの道後温泉に行きました。普通の日帰り入浴施設はこの道後温泉本館と、椿の湯、あともう一つ(失念)あったと思います。多くの旅館も1000円くらいで日帰り入浴も対応しています。今回は十分リサーチする時間が無かったので、10年前にも入った道後温泉本館に、改めて入ってみました。当時は休憩室の利用無しの一般料金(現在は400円)の方に入りましたが、今回は、かつて皇室の湯殿として数度利用されたという又新殿(ゆうしんでん))の観覧とセットの1200円コースにしてみました。
 又新殿はそれなりに見る価値があったかなぁ、とは思いましたが、案内して説明してくれたオッサンのしゃべりが、ユーモア交えているつもりなのだろうけど、皇室のやむを得ぬご事情のことで週刊誌並みの不謹慎なこと言うし、蘊蓄を垂れるのは仕事だから当然なのだけどいちいちイラッとくる言い方だし、どうも気にくわない。皇室も、この程度の人間が居るところと縁を切れて良かったのではないか、と思うほど。温泉は、10年前の印象が「中腰で入る深さだった、ちょっと熱めだったかも」ということだけだったので期待はしていなかったけど、pH9.1ってわりには全くヌルッと感は無いし、あまり特徴のないお湯でした。神代からの温泉で、皇室御用達で、建物は文化財で、というのはまぁその通りで由緒正しいのだけど、温泉としてはどうかなぁ。まぁ、当時の印象が残っていないくらいだから期待はしていなかったんだけど、想像以上の肩すかしでございました。休憩室も、なんだか落ち着かないし、浴衣に着替えて休憩できるったって、1時間限定だしねぇ。他の旅館・ホテルも、泉質が一緒なんだったら別に・・・。

 さて、高知へ戻るバスの時間まで、けっこう余裕があったので、道後温泉にある正岡子規記念博物館へも行ってきました。説明はなかなかこってりとしていて、私も時間がだいぶ余っていたのでトータル1時間くらいじっくり読んでしまい、正岡子規の人となりをよく知ることができました。11月からNHKで「坂の上の雲」やるらしいし、見ておいてもいいかな、なんて思っていたのですが・・・、文学に興味のない私のような者が見てもダメっすね!正岡子規がどんな人か、ほんの少々しか知らなかったゴミのような知識が、たいへん厚みのあるものにはなりました。が、私にはそこまで知ってどないすねん!としか思えませんでした(言ってしまった!)。興味が無いということはそういうことです、ほんと、しょうがないですね(大汗)! ジャズに興味が無ければ、Miles記念館見ても「だから何やねん!」としか思わないだろう、みたいなもんか?


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【2009/03/07 02:12】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
備中松山城(岡山県高梁市)
 備中松山城、と言ってもお城好き以外は知らないかもしれませんが、一応、明治時代以降に破壊・焼失等せず現代に生き残っている天守閣のある12城の一つとしては有名なところです。JR伯備線の備中高梁駅から徒歩で1時間以上、途中までバスもあるけど本数は超少ない、しかも山城でかなり登るので、現存天守12城の中ではもっともアクセスしにくいお城。

 駅で降りてバスの時刻表を見ると、40分も待たなければいけない。なので、駅から全部歩くことにしました。途中、「愛宕山4.x km 備中松山城 12.8km」という看板があって「ハァ~!? 12km!?」とビビリますが、これはあくまで愛宕山を経由して備中松山城へ行く場合の話で、地図から想像される道通りにちゃんと進んで行けば、それなりの案内の看板が所々に出てくるので大丈夫。駅から備中松山城までは4km強くらいでしょう。
 なにぶん、山城で天守閣も小さいため、目標とする城が道中全く見えなくて不安なのですが、せめて天守閣が見えるように多少の伐採くらいはやってもいいと思うんだけどねぇ。伐採していないせいで見たいものが見えないところは(お城に限った話ではなく)全国各地、いろんなところでありますが、多少は切ってもいいんじゃないかと思うのだけど。

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 武家屋敷通りを北上、どん詰まりを右折して高梁高校前を通って登っていく途中の道。この写真は振り返って撮った写真なので、登る道中では小川は左手となります。 この先は広い車道と合流し、右折でトンネル、左折で備中松山城へ上る道(大きい看板有り)の三叉路となり、左へ曲がってもっと広い車道を上っていきます。右のトンネルの先は運動公園や吉備国際大学。道中の田畑の土台がやたらとしっかりとした石垣でできていて驚きます。広い車道は上ること約1kmで城見橋公園(と、言ってもここからでも城は見えない)。土日祝日の場合、一般車両は城見橋公園に駐車し、「ふいご峠」まで片道300円のシャトルバスに乗ることになります。

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 城見橋公園手前に看板があり、左折するとふいご峠経由で備中松山城へ行けることが分かります。ふいご峠までの細い道は1.2km、やや傾斜がきつくてしんどい。道中、眼下に見えるのは上の画像のような風景で、「エェ~ッ、30-40分でこんなにも登ったのかぁ~!?」とびっくりするほどの眺めです。「ふいご峠」には車が10数台駐車出来るスペースがあり、平日はここまで一般車両で来てもいいみたい。

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 ふいご峠からは完全に登山です。標識には約700m先が備中松山城と書いてありますが、100m、200mがこんなにもキツイとは・・・。まぁ、ここまで全部歩いているせいもありますが、ふいご峠から先の700mがキツイのなんの。途中には、上の画像のように目もくらむような崖があったりしてクラクラします。

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 700mの山道には「登城心得」の立て札がいくつかあり、最後は「よくぞまいられた」。

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 その、「よくぞまいられた」からすぐ見えるのがこんな石垣。 こんな山の上にここまで壮麗な石垣があるとは驚きです! しばし腰が抜けるほどの感動に打ち震えます。 しかし、天守閣まではさらに登りが続きます。

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 やっと天守閣が見えた!

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 天守閣はこんな感じで小さいのですが、どっしりとした感じでそんなに悪くはない。全体としては、石垣が凄いのはもちろんですが、道中の困難さと相まって、これまで訪問してきた天守閣の現存する12城の中では最も感動が大きかったかも。お城マニアでなくてもきっと満足できると思います。

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 備中松山城は明治の廃城令下でも、「山の上だし面倒くさいし」ということで積極的に破壊されることもなく、放置されていたそうです。しかし荒れるに任され、昭和初期の改築前はこんなあばら屋状態だったそうな。昭和初期、地元の方が中心となって保存活動が始まり、これを解体、土台から修復したそうです。その後も何度も改修が行われ、現在に至ります。改築時、殆どの木材がシロアリに食われてボロボロになっていたそうで、どれだけボロボロだったのかが画像や実物で天守閣内に展示されています。保存に尽力された方々の努力に敬意を表するのはもちろんですが、ここまで改築しているものでも「江戸時代から残る天守閣です」ということになるんですねぇ。まぁ、丸岡城も福井地震で倒壊したのを元に戻していて、それでも「江戸時代からの天守閣が残る城」という扱いだし、まぁいいか。

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 城下町はそれなりに昔風の町並みが保存されています。あくまで「それなり」で、無理して頑張って観光地化に力が入っている感じはありません。城下町には武家屋敷、商家、旧・尋常小学校校舎を利用した郷土資料館(上の画像)、頼久寺といった観光スポットがあります。他、少し南に外れたところに山中鹿之助のお墓があります。頼久寺とお墓には行きそびれましたが、郷土資料館はちょっと異彩を放っておりました。郷土資料館とはいえ、1Fは大正~昭和の電化製品や小物が所狭しと並んでおり、60代くらいの方なら「おお、これ使ってたよ」と思うものもたくさんあるんじゃないか、というくらい、そんなに古すぎるほどでもないものが非常にたくさん陳列されています。石野真子のバッジなんかもあったりして(笑)。ガラクタもここまで集めると威圧感が出てくるのかと驚き呆れます。また、2Fには「どうやってこれを2階まで上げたのか?」と不思議になるような御輿や漁船などが展示されている他、高梁市周辺は国内屈指の葉たばこの生産地であったことを示す資料と展示があり、この地域の栄枯盛衰が読み取れ興味深かったです。
 また、展示されていたもののうち、戦時中の少年誌の付録の双六がたいへん興味深かったです。「日華事変双六」なんですけど、そんな題材で双六にしていたのかよ、というところに驚くのはもちろんですが、ゴールが「中国占領」では無くて、日本の国旗を持った少年1人と満州の国旗を持った少年少女2人とが並んだ絵になっていた所にも驚きました。まぁ満州は日本が無理矢理作った傀儡国家だから実際問題としては意味は「占領」と同じことなんだけど。

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【2009/02/14 23:58】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
広島城・不動院・宇品天然温泉ほの湯
 8月19-21日に、広島へ出張に行ってきました。

 旅行カバンを出すと、「居なくなるのは寂しいから邪魔するんだニャン」とばかり、旅行かばんに乗って離れなくなってしまいます。・・・という当てレコ妄想をどこかで読んだことがありますが、ホントにそんなことするんですね!

 ・・・というのは嘘で、「これはちょうど首の座りがいい場所を見つけたんだニャン、テコでも猫でも動かないんだニャン」というのが真相であることは間違いありませんwww

 八景島周辺の空撮画像。最近、新しいデジカメ、Panasonic Lumix DMC-TZ5を買ったのですが、それが非常に優秀でして、いろいろ絵を撮るのが楽しいです。光学10倍ズーム、2048×1536pixcelの画像であればさらにデジタルズームで16.9倍まで可能(=MAXサイズの画像を撮る場合に使う画素の真ん中へんだけを使うというズームであるため、実質的には10倍でMAXサイズの画像を撮った際の中心部分を切り取ることと同等の画像になるで、ホントのデジタルズーム的な荒さは出ない)というのが素晴らしく、非常にきれいな絵が撮れるという印象です。

 広島城。戦時中は城域内に軍事施設が多数ありました。原爆により天守閣他、遺構は全て倒壊しましたが、天守閣や主要な門は関ヶ原以前からのものが残っていたとか。非常に惜しいことです。天守閣は昭和30年代に鉄筋コンクリートで再建されましたが、外張りには十分に木材が使用されており、見た目はガッカリ度の高い最近のお城とは違ってなかなか良いものです。原爆で倒壊する以前の写真もたくさん残っているので、再現性も高いものであろうと考えられます。中は当然、コンクリートで階段が整備されております。高さのある天守閣なので、上りきるまで、けっこうしんどかったです。
 なお、普通に天守閣に登る正面方向からでは樹木が邪魔であまりいい天守閣の絵が撮れません。お城の裏側、北~西側、アストラムラインの城北駅付近からの方が、こんな感じでいい構図の天守閣を望むことができます。

 そのアストラムラインで城北駅から北へ3駅目、「不動院」駅すぐにある不動院。こちらは楼門(重要文化財)。1594年の建築。

 不動院金堂。1540年の建築だそうで、広島市内に現存する唯一の国宝建造物。原爆の爆心地から北へ3.9kmという位置にありながら、大きな被害も受けず生き残りました。・・・国宝とはいえ、周囲は閑散としたもので、観光客も殆どいない。金堂内には入れませんが、参拝料も無し。このお堂は、天正年間に、かの安国寺恵瓊により、現山口市内から移築されたものだそうです。原爆による被害は少なかったものの、この周辺は市内から北へ逃げる人々の通り道となり、お寺では被災者の手当に力を尽くしたものの、境内は死体でいっぱいになってしまったとか。世界平和を願わずにはいられない、そんなお寺です。

  宇品天然温泉ほの湯。あまりにも暑くて温泉くらいには行きたいと思って現地で探した温泉。公共交通機関で行く場合はバスで「中国自動車学校前」で下りるのが近くて良いのですが、私は路面電車「広島電鉄」の宇品三丁目から東へ歩いて行きました。これでも駅から徒歩10~15分ほどで辿り着きます。入浴料は750円、中はスーパー銭湯並の充実施設。露天には源泉風呂もあります。ただし、源泉浴槽一番上の段はやや狭くて、快適に入れるのは大人3人まで。4人目が入るとちょっと辛く、5人目はご遠慮願いたい、というくらい。でも、その源泉がいいんです。唇に触れるだけで「苦ッ!」とビックリしていつまでも口内の不快感が続くほどの、にがりのようなお湯。含弱放射能・ナトリウムカルシウム塩化物泉という種類になるようですが、その名前だけではこのお湯の雰囲気は伝わらないと思います。また、源泉温度が書いていないところを見ると恐らく沸かし湯と思われます。しかし、この苦さから想像される高潮性(成分が濃そうな感じ)はなかなか得難いもので、これは非常にいい湯であろうと思います。これだけの湯であれば、正々堂々と「沸かし湯」であることを明言して欲しいものです。そこが真っ正直で無い所だけは気に入らないところです。
 もう一つ、感動したのは中ジャグジー風呂です。こちらは温泉ではなく普通の湯を使っており、一見、そのへんのジャグジーと一緒です。入れば足の裏と背中、または脇腹と太もものいずれかへジェットが当たる湯船なのですが、ポイントは頭を置くステンのパイプ。このパイプの中に冷水を通しているようで、首を当てると非常に冷たい!のです。このため、頭を冷やしながらジャグジー風呂に浸かれます。即ち、風呂で暖まった血液は頭に回る際に冷やされるため、火照った体でもまだまだジャグジーに浸かっていられるという仕掛け。感動的に素晴らしい仕掛けで、是非とも全国のスーパー銭湯に普及して欲しいものです。

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【2008/08/26 19:01】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高知城

 高知城天守閣です。桜もキレイですが、天守閣も絵になるなぁ。高知城は、ご存知の通り、江戸時代の天守閣の残る12城の一つで、高知城天守閣は1747年のものが現存しているとのことです。国宝では無いが、重要文化財となっております。この他、門や塀など14ヶ所も重要文化財でありまして、石垣も立派。

 訪問したのは4月6日の日曜日。休日で、桜もまだまだ楽しめる状況だということもあり、多くの来訪者で賑わっておりました。


 天守閣から、鏡川大橋、五台山方面。何度も高知に来ていながら、五台山にはまだ行ったことがないのですが、歩いていくにはかなりきつそうな山に見える・・・。



 天守最上層は全方向解放されており、風の通りがすこぶる良くて気持ちいい! この日は歩けば汗ばむほどの陽気でしたが、気持ちよくて最上階に「長居したら冷えました。



 別方向から、天守と石垣。 石垣も立派なんですが、残念ながら老朽化が進んでいるようで、一部、修復がてら発掘調査が行われていました。


 それにしても、ごく最近松本城丸亀城も訪問しており、まるでお城マニアのようですが・・・(汗)。まぁ、かなり好きな方ではあります。これまで、江戸時代以前の天守が残る12城中、8城は訪問しており、残すところは犬山城、松江城、備中松山城、松山城の4ヶ所。残念ながらまず用事の無いところばかりなので、これらに訪れる日は当分先だなぁ。

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【2008/04/08 21:03】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
丸亀城
 丸亀城に行ってきました。

 石垣が非常に重厚です。天守閣は350年前、1660年のものが現存しており重要文化財となっています。江戸時代の天守閣が残る12城の一つです。3つの門、1つの番所長屋も重要文化財です。いっそ、この石垣と併せて、城域全体を国宝にしてやってもいいんじゃないかというくらい、たいへん立派なものです。惜しむらくは石垣の重厚さのわりには天守閣がやや不釣り合いなくらい小さい、ということです。1943年~1950年の間は国宝だったのですが、1950年の国宝に関する法律の改正により重要文化財に格下げ(?)となったようです。

 天守閣へ繋がる道はかなり急な上り坂。ちょうど坂道の曲がり角から撮っているのですが、これは下方向。桜もキレイ! 曲がった先はさらに急な上り坂。


 天守閣&桜。



 もひとつ、天守閣&桜。絵になるねぇ。



 天守から望む讃岐富士。


 天守閣内の展示物。オッ、こんなところに い~た~が~きぃ~ 様の兜?! いえいえ、もちろん、そんなわけありません・・・、室町時代の兜とだけ書いてありました(撮影はOKのようでした)。トンボ柄って、それなりに一般的だったんでしょうか?

 城域、外堀内の「こどものくに」跡地。2007年11月に閉園したそうです。これでまだ営業が続いていれば、観覧車の小ささに笑っていればいいのですが、この8つのカゴのうち5つに「あ」「り」「が」「と」「う」と書かれた紙が貼られていて、それが半分剥がれ掛かっている、というのを見るとちょっとツライですね。

遊園地跡地のすぐ向かいにはミニ動物園(入場無料)があります。城域内には時々こんな動物園があるような気が。と、言ってもすぐ思いつくのは上越の高田城公園と小田原城の2つだけだけど。


 こんにちは。



 今日はいいお天気ですね。
 

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【2008/04/06 21:06】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
松本城

 昨日書いた諏訪湖に行ったのと同じ日、2/17(日)には松本城にも行ってきました。天候は、午前中、諏訪では良かったのですが、正午前後、松本ではあいにくの曇り。気温はマイナス5度くらい?

 お堀の外とか、周囲を車で走りながら見た松本城は、真っ平らな平面に立っているせいかショボッ!とか思ってしまいましたが、近づいてみると、なかなか威風堂々としておりました。

 明治以前の天守閣の残る12城中、天守が国宝に指定されているは4城で、松本城もその一つ。小学生の頃切手集めをしていた私としては、第二次国宝シリーズの切手図案で知っていて、子供の頃から、松本城はたいへん立派なお城であろうと想像していました。

 実際見てみると、さすがに姫路城のような感動は無く・・・、遠目で見た時の印象のショボさが尾を引いてしまったか。切手のように、青空の下で見た方が映えるのかなぁ。


 松本城城郭域の南の出口から出てすぐの所の喫茶店のようなところでいただいたジャンボハンバーガー。写真ではわかりにくいですが、直径18cmのアメリカンサイズ。メタボリックなダメ感がたまりませんwww サイズはアメリカンですが、ハワイで食べたものとかよりはずっと美味しいです。 またダメなことに店名を失念しておりまして、ブロガーとしては失格ですw

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【2008/02/24 20:44】 | 城郭巡り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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